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続・民明書房刊

1 名前:王大人(代理) 投稿日:2001/01/04(木) 02:35
民明書房刊 http://fire7.hypermart.net/other/minmei.html
号外 http://www.ah.wakwak.com/cgi-bin/sbox/~yosk/hilight.cgi?dir=nono&thp=960220345&st=36&to=36&nofirst=yes

蘇る古代中国の怪拳奇拳。今解き明かされる「妄無素」の謎の数々

98 名前:名無し娘。 投稿日:2001/01/27(土) 15:53
上げ

99 名前:名無し娘。 投稿日:2001/01/27(土) 20:50
いみなくほぜーん。

100 名前:保全 投稿日:2001/01/27(土) 22:50
保全

101 名前:名無しさん募集中。。。 投稿日:2001/01/27(土) 22:57
はよ更新せいや

102 名前:X 投稿日:2001/01/29(月) 20:21
復活してたのか!知らなかった。
忙しくて放置しっぱなしでそのうちdat逝きになってすっかり忘れてました・・。
ずっとネタ書いていてくれてたいつも名無し。さん、民明さん、オ・マンコさん、
その他の作者の皆さん、どうもありがとう。
うーむ、「李 活乳」、「御投刃衆」は俺の構想していたものより1ランクうまいっす。

103 名前:X 投稿日:2001/01/29(月) 20:23
「王総労」

「御投刃衆」等、数多くの集団戦術を体得していた「短放砲」だが、
その戦術のイロハを記した「王総労」という指南書の存在は一般には
殆ど知られていないのが現状である。
当時印刷技術がまだ無かったにもかかわらず「短放砲」はこの指南書を
数千部も発行し、中国の主要な都で配布していたというのは驚嘆に値する。
「華 王倫」が編集の指揮を担っていたことから「王・総・労」との名が
付けられていたが、当の本人は会議を欠席することが多く、実際に場を
仕切っていたのは副将「知 瓶婆」だったらしい。
他に「李 活乳」は武術家の悩みに対する指導、「亜 威盆」は中国各地に
伝わる奇拳怪拳の紹介を担当していたと記録にある。
この「王総労」が配布される日は、是非とも手に入れたいという武芸者達により
中国各地で長大な列が出来たという。その熱狂ぶりは凄まじく、「王総労」が遠く
我が国に伝来した際に、形容詞「恐ろしい」の語源になったとも言われている。
この「王総労」日本でも評価は高く、「藤原紀香(ふじわらののりか 871〜?)」
などの平安貴族も愛読していたらしい。

(民明書房刊 「編集長・休みだと・あいぼん野放しイイ感じ!」より)

104 名前:保全 投稿日:2001/01/29(月) 22:07
保全

105 名前:名無し娘。 投稿日:2001/01/30(火) 01:41
再開おめ

106 名前:名無しさん募集中。。。 投稿日:2001/01/31(水) 02:00
はよ更新せいや

107 名前:名無し娘。 投稿日:2001/01/31(水) 23:26
>>ネタ職人さん
くだらない煽りは気にせずに更新は遅くてもマイペースでやって欲しいです。
頑張って下さい

108 名前:名無し娘。 投稿日:2001/02/01(木) 14:45
煽り厨房蹴散らし〜♪
ネタがつきてもあげまくれ〜♪

109 名前:nanashimusume 投稿日:2001/02/03(土) 01:39
>>106失礼なやつだな〜

110 名前:いつも名無し。 投稿日:2001/02/03(土) 02:27
「妄無素」の修行費用

用心棒として雇われる機会の多かった「妄無素」の面々は、
「義屋羅」や「救僚制」(民明書房刊「おいきたろう、恵からアガってどうすんねん!」参照)
によって日銭を稼いでいたのだが、自らの鍛錬のため費用は朝暁寺に納める必要があった。
かつては棟梁を務め、その上納金にことかかない「菜 通知」であったが、
「呉 糖巻」にその座を脅かされるにつれ、上納金を延滞することもしばしばあったという。
そんなある日、執拗な朝暁寺からの請求に応えることができなかった「菜 通知」は、
自らの体を張った芸を見せることで上納金の代わりとしたという記録が見つかった。
その芸の名は、中高生の部活動の費用である「部費」として現代まで語り継がれている。

(民明書房刊 「とっさの一発芸大全」より)

111 名前:いつも名無し。 投稿日:2001/02/03(土) 02:28
うう、あがらなかった。無念。

112 名前:名無しさん募集中。。。 投稿日:2001/02/03(土) 02:31
即興あげ。

113 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2001/02/03(土) 03:20
>>110
早い。実に素晴らしい手並みです。

114 名前:X 投稿日:2001/02/04(日) 00:26
差魔奈異

玄穐十年五月、「知 瓶婆」「偉 地位」「安 打刑」という新たな三戦士を
加えた「妄無素」が編み出した戦術の一つ。それが「鎖魔奈異」である。
前陣に手練の戦士、後陣に新米の三名を配した陣形は非常に攻守に優れていた
という。しかし「差魔奈異」の真の恐ろしさはその連携攻撃にあったらしい。
まず「大機雷」という攻撃を三度続けて上段に放つ。対峙する者は皆四度目を
予測して身を構えるが、今度は一転して「大隙」という大技を中段に繰り出す。
大抵の者は上段を防御しているので、そこに文字通り大きな隙が出来てしまい、
最後の攻撃を腹部にまともに食らい呻き声と共に地に沈んだという。
なお、多彩な前陣の攻撃に比して、後陣の三名には「報友」及び「有恩忠」
という二種の支援行為しか許されていなかった。これは実力主義の「妄無素」
では当然のことで、「早く一人前の戦士になりたい」という願いから、
三名は寝る間も惜しみお互いに枕を投げ合うという鍛錬を続けていたという。
ただこの枕投げに関しては、当時三名を厳しく指導していた「酎 裕姐」への
鬱憤晴らしだったという諸説も存在すると付け加えておこう。(民明書房刊
「光波の多様でメラニン増加」参照)
また、ある文献には、異民族の武術集団である「個々夏」もこの「鎖魔奈異」を
真似て使用していたものの完全には使いこなせず、強さでは「妄無素」には遠く
及ばなかったとの記録が残っている。

(民明書房刊 「スマイルは3つでもタダです」より)

115 名前:名無しさんは今日も行く 投稿日:2001/02/04(日) 10:25
大機雷、大機雷、大機雷、大隙&#9829

116 名前:名無しですう 投稿日:2001/02/04(日) 20:59
>>114
あんたすごいよ。そのセンスと知性にほれるよ。


117 名前:名無しさん募集中。。。 投稿日:2001/02/05(月) 00:13
はよ更新せいや

118 名前:名無しさん@24周年 投稿日:2001/02/05(月) 00:33
>>117
せっかくいいスレなのにお前が台無しにしてる

119 名前:いつも名無し。 投稿日:2001/02/05(月) 18:19
「覇秘差魔」

第四回殴弟子怨で追加された四人の拳士達が、
最初に参加した戦術が、この「覇秘差魔」であった。
「差魔奈異」(民明書房刊「スマイルは3つでもタダです」参照)と同様、
新入りの四拳士は「阿嫌々」及び「廃々」の二種の支援攻撃を担当していた。
記録に残る中では「妄無素」最大の人数にて繰り出すこの戦術は、
師範代の「酎 裕姐」を中心に配置し、それを取り囲むように
「発破羅覇之発場」という陣を組む秘奥義「翔拳凱奢乃巣戯摸徒散」が
他を圧倒していた。加えて、「知 瓶婆」が繰り出す跳び蹴りは、
著名な格闘家であるブルース・リーの載拳道のルーツとなっている。
しかしながら、技の完成を見てから僅か四日にして
「偉 地位」が朝暁寺を去ったため、最大威力の覇秘差魔を目にした者は
ごく僅かである。妄無素の技の一部始終を記した、「風呂妄書」にも
この技は記載されているのであるが、「偉 地位」に関する記述は少なく、
まるで最初から存在していなかったかのような記述から「偉 地位」を
見つけるのは至難の業とされている。
こうして完全型の覇秘差魔は、時代とともに人々の心から消えてゆくことになるが、
その芸術的な身のこなしから派生した動きは民族舞踊として後世まで継承され、
婚礼の儀に若い女性が披露する踊りとして現代でも目にすることができる。
その踊りは、技を繰り出す際のかけ声に由来して「パラパラ」と呼ばれ、広く親しまれている。

(民明書房刊 「お前たちも一緒にゾナパラ踊るゾナ!」より)

120 名前:名無しさん募集中。。。 投稿日:2001/02/06(火) 01:45
はよ更新せいや

121 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2001/02/06(火) 02:24
>>120
そんなに更新を楽しみにしているのか・・・キミは

122 名前:まる 投稿日:2001/02/06(火) 09:26
くだらん

123 名前:名無しさんゾナ 投稿日:2001/02/06(火) 22:14
「丙 卦道」編もきぼ〜んゾナ

124 名前:高山 投稿日:2001/02/07(水) 13:21
うんこ

125 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2001/02/07(水) 13:24
爆笑はしないけど、ああ、巧いなって思う

126 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2001/02/08(木) 02:43
はよ更新せいや

127 名前:X 投稿日:2001/02/08(木) 04:03
「王得怒の戦い」

玄穐十ニ年十月、「虚塵国」と「代英国」という二つの大国が天下を二分しての
戦争を行ったのはあまりにも有名な話であるが、時の武術集団「妄無素」も
この戦いに関与していたという史実は一般にはあまり知られていない。
とは言っても「妄無素」は直接戦地で戦ったわけではなく、合戦の前に行う
「始球の儀」という儀式にのみ参加したらしい。これは、名のある武術家が白球を
的に向かって投げるという儀式である。戦を前に緊張した兵卒達に武術家の勇姿を
見せることで軍全体の士気を高めるという狙いがあったようだ。
「妄無素」は元々、練習試合「御音妄」の一種目である「猛輪具」という
競技において白球を投げる訓練を日々積んできていることもあり、「始球の儀」の
大役に選出されることとなった。「妄無素」を代表しこの儀を勤めた「呉 糖巻」だが、
投じた球は方向こそ合っていたものの、的まで距離が届かず、皆からは失笑がもれた。
このことが原因かどうかは定かではないが、「代英国」はこの後四日続けて敗れ、
「虚塵国」に天下一の座を奪われてしまった。「呉 糖巻」の名前は、このとき影で
ささやかれた「誤投負け」という陰口が転じたものだとする学説もある。
また投球に自信のあった「華 王倫」は「自分が投げていればこんなことには
ならなかった」と怒りをあらわにしていたという。このことから「虚塵国」と
「代英国」の二国間の戦を後に「王得怒の戦い」と呼ぶこととなる。

(民明書房刊 「城島さんのサインがフォークだったんですよ」より)

128 名前:うんこ 投稿日:2001/02/08(木) 13:31
うんこ

129 名前:名無し娘。 投稿日:2001/02/09(金) 00:21


130 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2001/02/11(日) 00:48


131 名前:X 投稿日:2001/02/11(日) 01:42
むむ、大丈夫かな?

132 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2001/02/12(月) 00:47
はよ更新せいや

133 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2001/02/12(月) 01:32
>>132
待ってました

134 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2001/02/12(月) 04:57
例えばこれをあげてみたらどうなるの?

135 名前:オ・マンコ 投稿日:2001/02/14(水) 03:50
「菜 通知」余話

拳闘集団「妄無素」において中心的存在であった「菜 通知」には、
いくつかのエピソードが残っている。
「選他阿」の変更、「派跡輪利」などの「妄無素」の拳士たちにとって、
その実力評価の象徴とも言える決定事項は、文章によって通知されるのが
普通であった。ところが、「哀憂為酒」において、唐突に「選他阿」が
「呉 糖巻」に変更になり、また「菜 通知」には「祖呂派跡」が一つも
与えられなかった。この、彼女にとっては屈辱的な決定事項は、事前に全く
「通知」の無かったものであり、これ以来、いくつかの文献に彼女の名を
「菜 通知」ではなく、「無 通知」と記されることとなった。
もっとも、「無 通知」と呼ばれるようになったのは、そのムチムチした
身体をあらわした擬態語であるとも言われているが真相は定かではない。
また、次のような話もある。
「無 通知」は夜毎、朝暁寺を抜け出し、いずこかへ雲隠れすることが頻繁であった。
どうやら、「御塩」なる恋人のもとへと通いつめていたらしいのだが、本人たちは
恋愛関係にあることをかたくなに否定し、夜な夜な西洋仕掛けの電子玩具に興じていたと
言い訳していた。後に、「無 通知」が極度の肥満によりその容姿が著しく衰えるにつれ、
「御塩」にも捨てられることになる。
長い時を経て、世界中に広まるその西洋仕掛けの電子玩具は,
そんな彼女の衰えていく有様を評して次のような名前で知られることになる。
「婦劣捨」と。「婦人」ノ(容姿が)劣リ(男に)捨テラレル、と文献は語っている。
これこそが我々が日々、手にしてる「プレステ」の語源であることは、
言うまでもないだろう、とまで言ってしまったらさすがにこじつけであろうか。


(民明書房刊 「それでもイカ食べちゃうだべさ( ● ´ ー ` ● )」より)


136 名前:名無しん 投稿日:2001/02/14(水) 04:06
終了間近かな

137 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2001/02/14(水) 04:09
アイドル10年周期

138 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2001/02/15(木) 01:00
はよ更新せいや

139 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2001/02/16(金) 05:57
はよ更新せいや

140 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2001/02/17(土) 05:57
見つけたぞ。
何を?
永遠を。
海にとけてく太陽を。

141 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2001/02/18(日) 05:58
はよ更新せいや

142 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2001/02/20(火) 00:22
141は毎日保全しにこい

143 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2001/02/23(金) 05:45
はよ更新せいや

144 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2001/02/23(金) 21:27
もしネタを書くとしたら「はよ更新せいや」のためだけに書くのか。
鬱…

145 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2001/02/26(月) 23:34
一応。

146 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2001/02/27(火) 06:50
はよ更新せいや

147 名前:名無し娘。 投稿日:2001/02/27(火) 14:28
gh

148 名前:名無し娘。 投稿日:2001/03/01(木) 01:42
あげ

149 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2001/03/02(金) 16:51
はよ更新せいや



150 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2001/03/04(日) 08:26
はよ更新せいや

151 名前:飯田さん 投稿日:2001/03/04(日) 23:56
カヲリ、交信なんかしてないもん!

152 名前:いつも名無し。 投稿日:2001/03/05(月) 20:42
「般恥裸」

「亜 威盆」が得手としていた奥義「般恥裸」は、中国武術史上において有名な技の一つである。
「般恥裸」は特に「炉離恨」なる流派の使い手に対して効果的であったという。
「御投刃衆」(民明書房刊「古代における欧州と亜細亜の文化交流
〜パスタの起源は中国だった!」参照)において
不完全ながら「般恥裸」の原型となる技を身につけ、「魅尼妄忍 邪無拳臂四」
(民明書房刊「ああ矢口様!小さいってことは便利だね」参照)で
ついにその奥義を完成させた。「般恥裸」の破壊力たるや凄まじく、
「実強磐」という実に強靭な磐をも飛ばしてしまう程の威力であった。
「亜 威盆」との連携を多様していた「乃 納魅」もまたこの「般恥裸」を体得し、
それは玄穐十三年早々に開催された「覇炉腑魯」なる大武會で炸裂した、
「魅尼妄忍 邪無拳臂四」において観衆の目にさらされた。
「般恥裸」は使い手の個性によっては不得手とする者もおり、
「空瑠」で「御徒胡摩江」と言われた「四 素射」には到底使いこなせぬ奥義というのが定説であった。
ところが「四 素射」は人知れず修行を積み重ね、
とうとう「般恥裸」を超える究極奥義、「般喪炉」の完成に至ったのである。
神々しいまでの輝きを放つ「般喪炉」は、「炉離恨」以外の流派の者にも絶大なる震撼を与えた。
「四 素射」からまさかこのような究極奥義が生み出されたということに対する驚嘆は、
その動きになぞらえた「ゾンビが鷹の子を生む」という諺として現代まで語り継がれている。

(民明書房刊 「そぉとぉ強引な売り出し戦略、見事にハマる」より)

153 名前:名無し娘。 投稿日:2001/03/06(火) 15:27
ポジティブッシュよしこ

154 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2001/03/06(火) 15:29
はよ更新せいや

155 名前:ポジティブッシュよしこ 投稿日:2001/03/07(水) 23:09
はよ更新せいや

156 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2001/03/08(木) 01:10
>>154-155
たまには面白かったとか言ったらどうなんだよ!

157 名前:ポエ丸。(スレ汚しごめん) 投稿日:2001/03/08(木) 02:58
「般恥裸弐」
元来は「妄無素」一の巨人「華 王倫」の得意とした豪快な技。
「罵出!罵出!」の掛け声と共に技を繰り出され、
その際にあらわになるその逞しい太ももは見る者の心に強烈な印象、
またある種の恐怖を与えとされる。
現在の「罵倒」という言葉の起源がここにあるという説も。
「華 王倫」と同じく「短放砲」の所属していた「亜 威盆」は、
「喪乃魔音」と呼ばれた方法でこの技を体得したという。
しかし本来の「般恥裸」は強大な体力を必要とした事から、
体格的にそれほど恵まれていなかった「亜 威盆」のそれは、
「華 王倫」とはかなり異なった見た目になっている。

158 名前:ポエ丸 投稿日:2001/03/08(木) 03:06
ああ誤字もあるし…。人さまのスレに参加するんじゃなかった。
本当にすいません。。。

159 名前:ポエ丸 投稿日:2001/03/09(金) 00:10
「練-貸亜流-」

数々の厳しい修練がある事でしられる朝暁寺だが、中でも、
ただ厳しいだけでなくある種の屈辱さえも伴う修行方法として
知られるのが「練-貸亜流-」である。
とかく同じ人間同士との訓練では、そこに馴れ合いのような
甘えが生じるものである。
そこで考え出されたらしいこの訓練は、まったく違う畑に出向く、
いわゆる出稽古のようなものであったとされる。
史実によると「李 活乳」が、「貫兎離射」と呼ばれる秘儀を使う集団と
共に訓練したとされるが、関連した文献がいまだ見つからないので
その後どうなったかは謎に包まれている。
ちなみに、他に貸し出されるという意味として西洋に伝わった「練-貸亜流-」が、
「レンタル」という言葉の語源になったのは有名な話しである。

(民明書房刊 「嘆きの出向社員奮闘記」より)

160 名前:ポエ丸 投稿日:2001/03/09(金) 00:13
「保自底舞」と叫びつづけた「李 活乳」

その女性的な面影と立ち居振る舞いから、あるいは本当に女性
だったのではとの伝説が諸所に残っている「李 活乳」であるが、
例え本当に女性だったとしても、それでもなお尊敬すべき真の闘士であると
皆が認める理由が、この「保自底舞」である。
「常ニ自分忘レズ、ソノ心ザシを保持シ、ドン底ナ時ニコソ、士気ヲ鼓舞スル」
あらゆる困難に見舞われた時も、「保自底舞」と連呼する事で、
消え入りそうになる皆の勇気を奮い起こしたとされる。

「李 活乳」に関するもう一つの興味深いエピソードに「知闇」がある。
古代中国において、この世の全ては陰と陽の二つからなるとされていた。
表裏一体という言葉もあるように、真にその力を発揮しようとするには、
外面と内面が分離していてはいけない、
物事の負の面もあえて知ろうとしなければならない、
そのような教えが「知闇」である。
「保自底舞」によって前向きである事の強さを示した「李 活乳」は、
当然の事ながら「知闇」を習得済みであり、
「李 活乳」自体を畏敬の念をこめて「知闇」と呼ぶ場合すらある。

後世この二つの事例もとに、
「魔力を持った歌・文句」(ラテン語において)という意味や、
「女性的な魅力・美しさ」という意味の「チャーム」という言葉が生まれたのは、
周知の事実である。

(民明書房刊 「チャオ! プリティ長島でした」より)

161 名前:名無し娘。 投稿日:2001/03/09(金) 01:00
rentalじゃ貸し出すじゃないや…。

162 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2001/03/09(金) 04:21
はよ更新せいや

163 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2001/03/09(金) 09:27
はよ更新せいや

164 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2001/03/10(土) 00:38
他のこと言えや

165 名前:名無し娘。 投稿日:2001/03/10(土) 01:48
細かいとこ気にし過ぎじゃない?

166 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2001/03/10(土) 12:51
>>144
爆笑

167 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2001/03/11(日) 01:51
いつも名無し。はまだ書かないの?

168 名前:名無し娘。 投稿日:2001/03/12(月) 00:51
保全age

169 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2001/03/12(月) 02:56
はよ更新せいや

170 名前:名無し娘。 投稿日:2001/03/12(月) 02:56
そういえば「名無し娘。」に戻そうよってスレはいつのまにか消えたね

171 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2001/03/12(月) 02:58
戻す必要ないからな。

172 名前: 投稿日:2001/03/12(月) 19:36
「焼 吟南」と「音場放月刀」

「妄無素」の歴史を語る上で案外と忘れられがちなのが「焼 吟南」だろう。
「焼 吟南」は「六暴家裏主斗殴弟子怨」の難関を突破し初代「妄無素」
を結成した五人衆の中でも最年少の拳士として知られる。
体躯にこそ恵まれなかったものの、大人顔負けの非常に堂々とした闘いぶりで、
実戦においてその実力を如何なく発揮していたという。
入門して間もない頃参戦した「芽茶池」という戦において、大技
「邪衣暗斗素淫具」を三度にわたって食らいながらも決して倒れず
闘いぬいたという武勇伝は、今でもよく語られるところである。
さて「菜 通知」と共に「妄無素」の主力戦士だった「焼 吟南」だが、
勉学を極めるためにやがて「妄無素」を離れることとなる。
玄穐十一年四月、「焼 吟南」が「妄無素」を去る際に「妄無素」の七名は
「音場放月刀」という伝説の宝刀を贈ったとされている。文献によると、
これは三日月型の形状をした刀で、投げるとやがて元の場所に戻ってくるという、
今でいうブーメランの様な武器だったらしい。
これには「焼 吟南」への「いつの日か帰って来て欲しい」という願いが
込められていたという話であるが、残念ながら「焼 吟南」がその後
「妄無素」に復帰したという記録は残っていない。

(民明書房刊 「おなじ13さいとはおもえないのれす」より)

173 名前:いつも名無し。 投稿日:2001/03/12(月) 21:30
「酎 裕姐」の脱退

玄穐十三年二月、酔拳の達人として知られていた「酎 裕姐」は、
「妄無素」師範代としての自らの力を試すかのごとく、
集団武闘とは違った独自の奥義「紅椰子名魅陀幌里」を完成させた。
「亜 威盆」「乃 納魅」らが「般恥裸」で「炉離恨」流の者達を
一網打尽にしていたのに対して、「紅椰子名魅陀幌里」は「音菜野色氣」を発して
「炉離恨」流以外の者を次々と打ち負かしていたという対極的な技である。
「酎 裕姐」が発する「音菜野色氣」は五大陸にまで影響を及ぼしたとされ、
太陽系、銀河系、大宇宙、さらには「神聖域」という聖なる場所にまで響き渡り、
果てには「泥江鵺」なる妖怪をも屈服させていたという。
「紅椰子名魅陀幌里」を繰り出す際には、虎と猪の牙から作られる武具、
「虎猪貴王具」が用いられていた。「酎 裕姐」は己の能力を最大限に発揮するため、
自ら鍛造した「虎猪貴王具」を愛用していたとされる。
のちに、その「虎猪貴王具」に隠された秘密が解き明かされることになる。
「虎猪貴王具」は、「焼 吟南」の「音場放月刀」と同じく
「妄無素」を去る決意を固めた「酎 裕姐」の忘れ形見であったのである。
その事実は「酎 裕姐」が金色の道着に身を包んで臨んだ「貴遮開圏」における
大武會で明らかとなった。
その後の「酎 裕姐」の消息についてはまだ不明な点が多くあるが、
一説には「妄忍愚桝駆」と名を変え、しばしば「妄無素」の前に
姿を現していたとされるが詳細は定かではない。

(民明書房刊 「俺のメール、ANNで一通も読まれず」より)

174 名前:名無し娘。 投稿日:2001/03/13(火) 03:29


175 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2001/03/13(火) 04:01
はよ更新せいや

176 名前:客観的名無し 投稿日:2001/03/13(火) 04:47
>>172
やっぱりあんたすげえ・・・。

177 名前:名無し娘。 投稿日:2001/03/14(水) 01:23
うんこ

178 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2001/03/15(木) 00:12
腹一杯ちゃんぽん食って寝たまえ

179 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2001/03/17(土) 03:20
はよ更新せいや

180 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2001/03/18(日) 07:05
はよ更新せいや

181 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2001/03/19(月) 04:16
はよ更新せいや

182 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2001/03/20(火) 06:06
はよ更新せいや

183 名前:  投稿日:2001/03/21(水) 04:02
 

184 名前:雷電 投稿日:2001/03/21(水) 04:03
ぬぅ なにゆえ、あげるのか?

185 名前: 投稿日:2001/03/23(金) 00:35


186 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2001/03/25(日) 02:51
はよ更新せいや

187 名前:なっちもに 投稿日:2001/03/26(月) 04:15
ネタ職人さん、アイさがとカントリーあたりで一筆頼む。

188 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2001/03/27(火) 02:42
保田ヲタと市井ヲタと加護ヲタと吉澤ヲタしかいないスレッド

189 名前:オ・マンコ 投稿日:2001/03/27(火) 18:38
忘れ去られし拳士「丙 卦道」

「妄無素」が最初の「殴弟子怨」である「六暴家裏主斗殴弟子怨」の落選者たちから
創られたことはよく知られているが、その勝者である「丙 卦道」はその後、実に
悲劇的な生涯を送ることになる。拳士たちの実力評価の基準でもある「御離婚茶亜徒」に
においても常に「妄無素」の後塵を拝すことになり、次第に世間からもその存在を
忘れ去られていくことになる。だが、大武會「覇炉腑魯」、「媚娼徐尼希」への地道な出演や
「哀鎖餓」での「酎 裕姐」との一年近い修行の成果からか、遂に究極奥義「血極 倍、倍、倍」
を完成させた。
この技は、三年近くないがしろにされひのめを見なかった
自らの境遇を激しく巨大な怒りにかえ、体中の血液を一点に集中させることから始まる。
それを二人の付き人の拳士たちとともに、ヒラヒラと動かした両手のひらから
放出させ、「倍!」の一声で二倍、四倍、八倍と徐々に威力を増していく技であった。
だが、悲しいかな、「覇炉腑魯」の全面的な援助を受けたこの技も全くヲタどもに
対して殺傷力を発揮することが出来ず、拳士としての力量を問われた「丙 卦道」
は完全に表舞台から去ることとなってしまう。「倍!、倍!、倍!」などと言ってる
うちに本当に自分たちからバイバイしていなくなってしまいそうないきおいの「丙 卦道」
を称して、当時の歴史家たちが、既に女の盛りは終わった、と彼女のことを
「丙 卦道」ではなく「閉 経道」と史書に記しているのを見るのはなんともやりきれないほど
悲しいものである。

(民明書房刊 「パッシモニでも何でもいいからウチを使ってぇな」より)

190 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2001/03/27(火) 18:44
はよ更新せいや

191 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2001/03/27(火) 18:50
>>191
なんていうはやわざ。最早、感動すら覚えた。

192 名前:191 投稿日:2001/03/27(火) 20:52
間違えた。190のことね。
それにしても「はよ更新せいや」さんは複数犯か?


193 名前:いつも名無し。 投稿日:2001/03/28(水) 10:56
多岐に渡る政略家「突九帝」

大武會「覇炉腑魯」を中心に玄穐の世を司っていた突九帝であるが、
武術界の一層の活性化と精進を図るため、「覇炉腑魯」とは一線を画す
武闘家とも交流を持ち、指南していたと言われる。
(一説には単なる小遣い稼ぎとも噂されていたが、
 こよなく武術を愛した突九帝である。そんなことはあろうはずもない)
代表的なものに、かねてより突九帝直々の門下で修行を重ねてきた集団「七家」がある。
「七家」は「妄無素」と同じく集団戦術を用いるのが特徴であったが、
「妄無素」が全員素手での武術を繰り広げるのに対し、
「七家」は「樂器」と呼ばれる武器を用いて闘いに臨んでいた。
「妄無素」の圧倒的な武力は「七家」の追随を許すことはなかったが、
唯一、素手による「暴狩」の使い手、「拳 自慰」の手により、
「華 王倫」が狩られてしまったという記録が残っていることは特筆に価する。
「七家」と同じく「樂器」を用いた武闘集団「徒貴雄」と突九帝が手を組んでいたことが
解明されたことは、中国史学界にとっての大きな衝撃であった。
それまでは、「徒貴雄」の属していた「邪似威図」と「妄無素」は
最大の好敵手とされていたからである。
(全く殺傷能力に欠ける奥義「民菜出輪覇覇」を伝授し、
 意図的に「徒貴雄」を失墜させようとしていた、ともされるが定かではない)
その他、武術界において重鎮的存在であった「遺 月広」と手を組んでいたことも見逃せないが、
何より驚くべきは、その強烈な容姿は最早ネタとも言われた「喫素乃瀬會」の存在であろう。
「喫素乃瀬會」は「徐死腑魯」と呼ばれる格闘技の使い手集団であり、
その実力は語るに及ばないものであったが、特筆すべきは、
一度目にした者は七十七日もの間高熱でうなされ続けるというその恐ろしい容貌であった。
のちにその魍魎的な顔を模した化粧を施し、世界中の話題をさらったロックバンド
「KISS」が大活躍したことは、武術界と音楽界の大きな架け橋となった。

(民明書房刊 「板違いネタと言わば言え!」より)

194 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2001/03/29(木) 04:10
はよ更新せいや

195 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2001/03/30(金) 04:10
はよ更新せいや

196 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2001/03/31(土) 04:09
はよ更新せいや

197 名前:test 投稿日:2003/01/16(木) 23:41
はよ更新せいや?

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